東京高等裁判所 平成7年(行ケ)21号 判決 1997年11月19日
主文
特許庁が、昭和六三年審判第二二七九一号事件について、平成六年九月二日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 当事者の求めた判決
一 原告
主文と同旨
二 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者間に争いのない事実
一 特許庁における手続の経緯
被告は、発明の名称を「シリコン単結晶引上用石英ガラスルツボ」とする特許第一二一四四〇二号発明(以下「本件発明」という。)の特許権者である。
本件発明は、昭和五二年三月一七日に出願され(特願昭五二--二八六七三号)、昭和五八年一一月四日に公告され(特公昭五八--四九五一九号)、昭和五九年六月二七日に設定登録がされた。
原告は、昭和六三年一二月一六日、本件特許を無効とする旨の審判の請求をした。
特許庁は、同請求を昭和六三年審判第二二七九一号事件として審理し、平成六年九月二日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年一〇月四日、原告に送達された。
二 本件発明の要旨
微粉砕した高純度の結晶石英からなる粒子を、垂直軸のまわりに回転する型中に充填し、内面から加熱して製造した酸化硼素一ppm以下、OH基三〇〇ppm以下及び酸化アルミニウム、酸化鉄、酸化チタン、アルカリ金属酸化物の合量が一〇〇ppm以下よりなり、一四五〇°Cにおいて10〔10の9乗〕 ポイズ以上の粘性を有することを特徴とするシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボ。
三 審決の理由
審決は、別添審決書写し記載のとおり、原告が主張する理由及び証拠方法によっては、本件発明は、特許法二九条一項三号、同条二項のいずれにも該当せず、また、同法三六条三項及び四項の規定に違反するものでもないから、本件特許を無効とすることはできないとした。
第三 原告主張の審決取消事由の要点
一 審決の理由中、本件発明の要旨、引用例のうち、甲第四、五、一〇号証(本訴第八、九、一〇号証)の記載内容の認定は認めるが、甲第二、三、一二~一五号証(本訴甲第六、七、一一~一四号証)の記載内容の認定及び本件発明と上記各引用例との対比・判断を争う。
審決は、本件発明について、要旨変更に基づく出願日の繰下がりがないと誤認し、その結果本件発明の進歩性の判断を誤り(取消事由一)、仮に、出願日の繰下がりがないとしても、本件発明の要旨の解釈を誤り、ひいては引用例との対比判断を誤り(取消事由二)、その結果、誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。
二 取消事由一(要旨変更に基づく出願日の繰下がりによる進歩性の判断の誤り)の詳細
(一) 本件発明については、出願公告前に二度の補正がされたが、この二度目の昭和五七年九月六日付け意見書に代る手続補正書による補正(以下「第二補正」という。)は、以下に述べるとおり、明細書の要旨を変更するものであるから、本件発明の出願日は昭和五七年九月六日に繰り下がるべきである。
第二補正は、第二補正前の本件明細書(以下「当初明細書」という。)の発明の詳細な説明の、「この石英ガラスを内径一三五mm、外径一五四mm、高さ一三五mmの半球状に成形し、石英ガラス重量七〇〇gルツボとして、」(甲第三号証明細書五頁一八行~六頁一行)の記載を、「例えば、粒径一五〇乃至四二〇μ程度に微粉砕した高純度の結晶質石英からなる粒子を、垂直軸のまわりに回転する型中に充填し、内面からアーク炎で加熱し、内径一三五mm、外径一五四mm、高さ一三五mm、重量七〇〇gの半球状の上記石英ガラスルツボを製造し、」と訂正したものである。
この第二補正につき、審決は、「昭和五七年九月六日付けの補正は、シリコン単結晶引上用石英ガラスルツボの製造方法として本出願前周知の製造方法の一例を単に例示として加入したにすぎず、それにより格別の効果を奏するというものではないので、出願当初の明細書の記載からみて当業者に自明の範囲のものであり、明細書の要旨を変更するものではない」(審決書一六頁五~一二行)と判断した。
(二) しかし、当初明細書には、原料として結晶質石英を用いること、及び、アーク溶融法を用いることは記載されておらず、ただ、その特許請求の範囲に、「酸化硼素一ppm以下、OH基三〇〇ppm以下及び酸化アルミニウム、酸化鉄、酸化チタン、アルカリ金属酸化物の合量が一〇〇ppm以下よりなり、一四五〇°Cにおいて10〔10の9乗〕ポイズ以上の粘性を有することを特徴とするシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボ。」(甲第三号証明細書特許請求の範囲)と記載され、その発明の詳細な説明に、「石英ガラスとしては実験の結果酸化硼素一ppm以下、OH基三〇〇ppm以下および酸化アルミニウム、酸化鉄、酸化チタン、アルカリ金属酸化物の合量が一〇〇ppm以下で一四五〇°Cにおける粘性10〔10の9乗〕のものが必要であることがわかった。この石英ガラスを内径一三五mm、外径一五四mm、高さ一三五mmの半球状に成形し、石英ガラス重量七〇〇gルツボとして・・・」(同五頁一三行~六頁一行)と記載されていただけであり、本件発明のルツボがどのようにして製造されるかについての開示が皆無であったところ、この点が、第二補正により明細書の発明の詳細な説明に加入されたのである。この補正は、単に当時知られていた技術を先行技術として追加するにすぎないものではなく、ここで初めて本件発明のルツボの製造に必須である技術の選択と結合による具体的発明の新しい要件が導入されたものである。
そして、この要件は、本件特許の設定登録後、訂正審判請求(昭和六三年審判第三四二八号)を認容する審決の確定により、特許請求の範囲に記載され、本件発明の構成要件とされるに至ったのであるから、新しい発明の創成に該当するというほかはないのである。
(三) 被告は、本件発明の背景技術及び完成のいきさつ等を根拠に、アーク回転溶融法が公知であり、本件特許がアーク回転溶融法で製造されたものであることは、物性等の第一条件と形状等の第二条件から一義的に特定されることであるから、第二補正は明細書の要旨を変更しない旨主張するが、本件発明のルツボの製造においてアーク回転溶融法を採用することは出願当初の明細書の記載から自明ではなく、上記被告の主張は失当である。
また、被告は、本件出願前頒布された公報や文献(乙第六号証、乙第一二~一四号証)を提示し、出願当時の技術水準及び形状等の第二条件からみて、本件特許はアーク回転溶融法によって形成したと解するのが妥当であるから、第二補正は、自明事項を明確にするものであって、明細書の要旨を変更するものではない旨主張する。
しかし、被告提示の上記各証拠の記載から、本件特許が、アーク回転溶融法で製造されたものであるとは直ちに断定できない。すなわち、出願当時の技術水準を勘案しても、当初明細書の記載において、本件発明の製造方法がアーク回転溶融法に限られるという解釈は採りえないのである。
当初明細書記載の「石英ガラス」は、前示のとおり、その特許請求の範囲及び発明の詳細な説明に記載する特定の不純物と粘性を有する石英ガラスのことである。そして、当初明細書に記載されている「石英ガラスの形成」は、従来、一般に用いられている成形であることは明らかである。これに対し、第二補正は、「石英ガラス」を、石英ガラスを回転成形させるために用いる粒度限定の原料に補正し、かつ、「成形」を、当初明細書に記載されていないアーク回転溶融法に補正するものであるから、結局、ルツボの従来製造法を、製造原料と製造工程が一体の新たな製造法に補正するものである。したがって、第二補正は明細書の要旨を変更するものである。
(四) そうすると、本件発明については、出願日が第二補正がされた昭和五七年九月六日に繰り下がるから、それ以前に公知となっている特開昭五三--一一三八一七号公報(甲第一五号証・審判事件甲第一六号証)、特開昭五三--一二五二九〇号公報(甲第一六号証・審判事件甲第一七号証)、特開昭五六--一七九九六号公報(甲第一七号証・審判事件甲第一八号証)、特開昭五三--四五三一八号公報(甲第一八号証・審判事件甲第一九号証)に基づき、容易に発明をすることができたものとして、本件発明の進歩性は否定されるべきである。
第四 被告の反論の要点
一 審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。
二 取消事由一について
(一) 本件の原明細書(甲第二号証)に実施例として記載されている「ルツボ」は、「酸化硼素一ppm以下、OH基三〇〇ppm以下及び酸化アルミニウム、酸化鉄、酸化チタン、アルカリ金属酸化物の合量が五〇ppm以下で一四五〇°Cにおける粘性10〔10の9乗〕のもの」(甲第二号証明細書四頁末行~五頁三行)の純度及び物性を有する石英ガラスで形成されるという条件(以下「物性等の第一条件」という。)と、「内径一三五mm、外径一五四mm、高さ一三五mmの半球状」(同五頁四~六行)であるという条件(以下「形状等の第二条件」という。)を満たすルツボである。
そして、このルツボの厚さは、内径と外径の差(二〇mm)の半分の一〇mm(一cm)である。このような大きな外径(一五四mm)と厚み(一cm)を持ち、物性等の第一条件を満たす「半球状」の石英ガラスルツボは、本件発明の出願前には、アーク回転溶融法以外の方法では実用的なものは製造できなかった。したがって、物性等の第一条件及び形状等の第二条件を満たす石英ガラスルツボがアーク回転溶融法で製造されたものであることは、当初明細書の記載から自明のことである。
また、審決認定のとおり(審決書一五頁七~一五行)、石英ガラスルツボに係るアーク回転溶融法が、微粉砕した高純度の結晶石英からなる粒子を垂直軸のまわりに回転する型中に充填し、内面から加熱して製造する方法であることは、本件発明の出願前周知である。
したがって、第二補正は明細書の要旨を変更するものではない。以下、詳述する。
(二) ルツボ製造法の技術背景を説明すると、昭和四三年九月三〇日発行の永井彰一郎編「新しい工業材料の科学--特殊ガラス--」(乙第六号証、以下「永井文献」という。)の「3.2不透明石英ガラス」の項に、「不透明石英ガラスの製造会社は、日本では東芝セラミックスだけといってよい。」(同号証九一頁下から七行)と記載されているとおり、本件特許権者(被告)は、少なくとも我が国で、この分野の最先端を歩んできた。それ故、被告の不透明石英ガラス開発の歩みは、我が国の不透明石英ガラス製造の歩みを述べることになる。
昭和三六年ころ、本件発明に関係のあるアーク炎を熱源として原材料を回転溶融し、石英ガラス管を作るアーク回転溶融法の開発に着手し、最初は珪石粉を使用して不透明石英ガラス管を作り、次にコップ類(つまりコップ状ルツボ)の製造に成功した(昭和五一年九月三〇日発行の「あゆみ」・乙第八号証一五頁以下「石英ガラス溶融法」、永井文献・乙第六号証九三頁図3.12、3.13)。コップ状ルツボの特徴は、直径に比較して高さが高い形状である。このようなコップ状ルツボは、シリコン単結晶引上用ルツボとしては使用されておらず、蛍光体焼成用や光学ガラス溶融用として使用されていた。
昭和四〇年ころには、酸水素溶融法で製造したパイプを加工して作った半導体用高純度透明石英ガラスルツボと同様の形状のものをアーク回転溶融法で試作した(実願昭四三--三三〇八二号、実公昭四七--二七七一号公報・乙第九号証)。
その後、コップ状ルツボから大型ルツボへと開発が進められていって、半導体用として使用可能な高純度石英ガラスルツボをアーク回転溶融法で製造できたのは、昭和四四年ころである。これが、本件発明の出発点となるシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボの初期のものであった。さらに、半導体の著しい技術革新に伴い、半導体用シリコンウエハは超高純度化や大型化へと進んだため、高純度不透明石英ガラスルツボもまた改良され、特願昭五一--一一九九八九号(特公昭五三--四五三一八号公報・乙第一〇号証)がされ、さらに研究を重ねて昭和五一年末に画期的な改良に成功した。これが本件発明である。
本件発明の発明者の岸武男は、アーク回転溶融法の開発者の一人であり、シリコン単結晶引上用石英ガラスルツボをアーク回転溶融法で直接作ることを試みて成功した者であるが、<1>アーク炎を熱源としてOH基を極力少なくした、<2>アーク回転溶融法で直接ルツボを作り、大型化と低コストを図った、<3>比較的高純度で、特に硼素が極めて少ない特別な水晶粉を使用することにした、ことにより、初めてシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボに求められていた形状等の第二条件とOH基、純度、粘性、硼素の第一条件をことごとく満たす高純度不透明石英ガラスルツボの開発に成功したのである。
以上の説明から明らかなように、前述の第一条件及び第二条件の両条件を満たすルツボがアーク回転溶融法で製造されたものであることは、当業者にとって、本件の原明細書(甲第二号証)から自明のことである。
(三) 当初明細書(甲第二、第三号証)に、「アーク回転溶融法」という名称が記載されていなかったことは事実である。しかし、一般的に製造方法の記載のない明細書の記載を解釈するにあたり、慣用的に採用されている方法を暗黙のうちに使用していると解釈することは妥当である。明細書の記載から製造方法を特定し、その方法を、出願後に明細書に加入したとしても、それは、出願当初の明細書に記載されているに等しい事項を明確にしたにすぎない。
これをさらに説明すると、従来、一般の石英ガラス製容器・ルツボ等の製造方法としては、<1>石英ガラスチューブの一端を封止して形成するチューブ封止法、<2>成形型中に充填した珪石粉を抵抗加熱で溶融して成形する抵抗溶融法、<3>成形型中に充填した珪石粉をアークにより溶融して成形するアーク回転溶融法、などの方法が知られていた。しかし、シリコン単結晶引上用石英ガラスルツボは、シリコンを加熱するためのヒータとなる黒鉛ルツボ中に載置され、シリコンの溶融温度である一四一四°C以上の高温で二〇時間以上加熱されて使用されるものであり、また、石英ガラス自体の軟化点は通常一三五〇°C程度であり、これ以上の温度ではルツボが変形することになる。シリコン単結晶引上げ工程中においては、溶融シリコンにわずかな振動が加わってもシリコン結晶が多結晶化してしまうことから、振動発生の原因となる石英ガラスルツボと黒鉛ルツボとの間に空隙が介在しないように極めて高い寸法精度が要求される。さらに、本件明細書中に記載されているように、シリコン単結晶引上げ工程中にルツボを構成する石英ガラス成分の一部が溶融し、シリコン中に溶存して行くことから、シリコン単結晶の純度に悪影響を及ぼさないよう高純度であることが求められるばかりでなく、石英ガラスの溶損量自体も低いレベルにすることが求められている。このように、シリコン単結晶引上用石英ガラスルツボにおいては、所定の純度・特性が求められるために、その製造においては、一般の石英ガラス製容器・ルツボ等の製造とは異なるが、製造方法としては、上記<1>~<3>の方法から、シリコン単結晶引上用ルツボに適した方法を選択することになる。
前掲永井文献(乙第六号証)には、透明石英ガラス製品として、シリコン単結晶製造用高純度ルツボの写真が掲載されている(同号証一〇六頁図3・29)。透明石英ガラスは、通常、管、棒、ブロック状に溶融成形されることから、このルツボは、石英ガラス製透明チューブの一端を封止して所要の形状に成形されたもの、すなわち、チューブ封止法によって製造されたものとみることができる。
チューブ封止法については、特公昭五二--二六五二二号公報(乙第一二号証)が本件出願前公知であり、同公報には、石英ガラスルツボの製造方法として、石英ガラスチューブの一端を封止し、これを型中に吹いて膨らませて成形する方法と石英ガラスチューブの一端をつぼめ、ここに板状の石英ガラスを溶接することによりルツボを成形する方法が記載されているが、この方法では、寸法精度良く大口径の半球状ルツボを成形することは困難である。チューブ封止法では、ルツボの肉厚と同じ肉厚のチューブを使用してルツボを製造するが、本件出願当時、厚さ一〇mmで均一な肉厚を有するチューブを成形することは困難であり、当時の市販チューブは厚さが数mmのものであり(乙第一三、第一四号証)、本件発明でいう厚さ一〇mmのものは存在しなかった。したがって、チューブ封止法は、本件明細書に記載された石英ガラスルツボを成形する方法として不適切である。
前掲永井文献には、不透明石英ガラスルツボを製造する方法として、抵抗溶融法も記載されている(乙第六号証九二頁)が、その記載からは、シリコン単結晶引上げに適した石英ガラスルツボを製造できるかどうかは明確でない。また、この方法は、その抵抗加熱溶融炉の構造(同号証図3・11)からみて、量産に難点があり、かつ、成形品の肉厚の均一性及び寸法精度が悪い。したがって、抵抗溶融法は、シリコン単結晶引上用石英ガラスルツボの製法としては不適当であり、本件出願当時から採用されるような方法ではなかった。
同じく永井文献には、アーク回転溶融法によるルツボの製造が記載されている(同九三頁図3・13、その説明に「抵抗溶融炉」と記載されているのは明白な誤記である。)。この方法は、鉄製シリンダー型中に硅石粉を充填し、カーボン電極によりアークを放射して加熱し溶融するものであり、アーク電極を上下して均一に熱が放射できるようになっているため、ルツボの肉厚も均一で真円状の寸法精度の高い陶磁器状の製品を得ることができる。さらに、一九三二年二月一二日発行のドイツ帝国特許第五四三九五七号明細書(乙第四号証)には、中空管又は容器を製造する方法として回転溶融法が記載され、その電気的熱源として、炭素棒による熱源とアークによる熱源が記載されている。同明細書の記載によれば、石英砂を溶融して管又は容器を製造するに際し、炭素棒による熱源より、アークによる熱源が好ましいと認識されていることが判る。
以上説明したとおり、本件の当初明細書の記載をみれば、シリコン単結晶引上用石英ガラスルツボの製造を、当時慣用技術であったアーク回転溶融法によって行っていると解釈することが技術的に最も妥当である。
したがって、アーク回転溶融法の採用を明確にした第二補正は自明の事項を明確にしたものにすぎず、当初明細書の要旨を変更するものでないことは明らかである。
第五 証拠
本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。
第六 当裁判所の判断
一 取消事由一(要旨変更に基づく出願日の繰下がりによる進歩性の判断の誤り)について
(一) 第二補正の内容が、当初明細書の発明の詳細な説明の、「この石英ガラスを内径一三五mm、外径一五四mm、高さ一三五mmの半球状に成形し、石英ガラス重量七〇〇gルツボとして、」(甲第三号証明細書五頁一八行~六頁一行)の記載を、「例えば、粒径一五〇乃至四二〇μ程度に微粉砕した高純度の結晶質石英からなる粒子を、垂直軸のまわりに回転する型中に充填し、内面からアーク炎で加熱し、内径一三五mm、外径一五四mm、高さ一三五mm、重量七〇〇gの半球状の上記石英ガラスルツボを製造し、」と訂正したものであることは、当事者間に争いがない。
これによると、第二補正により、当初明細書には記載のなかった「粒径一五〇乃至四二〇μ程度に微粉砕した高純度の結晶質石英からなる粒子を、垂直軸のまわりに回転する型中に充填し、内面からアーク炎で加熱し」との方法をとることが例示されたこと、すなわち、当初明細書には記載されていなかった「微粉砕した高純度の結晶石英からなる粒子」である水晶粉を原材料として、「垂直軸のまわりに回転する型中に充填し、内面から加熱」するアーク回転溶融法(アーク溶融法)を用いることが、新たに加えられたことが明らかである。また、この第二補正により加えられた技術事項は、本件特許設定登録後において、訂正審判請求(昭和六三年審判第三四二八号)を認容する審決の確定により、特許請求の範囲に記載され、本件発明の構成要件とされるに至ったことが認められる。
この訂正を認容する審決による訂正前においては、本件発明の特許請求の範囲の記載は、第二補正によっては補正されなかったから、第二補正後の本件明細書の特許請求の範囲は、前示当初明細書と同じ、「酸化硼素一ppm以下、OH基三〇〇ppm以下及び酸化アルミニウム、酸化鉄、酸化チタン、アルカリ金属酸化物の合量が一〇〇ppm以下よりなり、一四五〇°Cにおいて10〔10の9乗〕ポイズ以上の粘性を有することを特徴とするシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボ」。であったのであり、したがって、第二補正が明細書の要旨を変更するものでないとするためには、この特許請求の範囲に規定するシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボが第二補正に係る前示原材料を用いてアーク溶融法で製造されるものであることが、本件出願当時、当初明細書に記載がなくても当業者に自明な周知の事項であったことが必要と認められる。
(二) そこで検討するに、古く一九三二年二月一二日発行のドイツ帝国特許第五四三九五七号明細書(乙第四号証)には、回転溶融法が記載され、その電気的熱源として、炭素棒による熱源とアークによる熱源が記載されていることが認められるが、この方法は、「遠心作用の助けをかりて、石英材料及び石英ガラスから中空体および管の製造のための新規な方法」(同号証訳文一頁二〇~二一行)であり、ルツボの製造にこの方法が応用できる旨の記載はない。もっとも、これにつき、特公昭五九--三四六五九号公報(乙第三号証)には、上記ドイツ特許発明に触れ、「ドイツ特許第五四三九五七号による既知の石英ガラスるつぼの製法」(同号証四欄三五~三六行)と説明する箇所があるが、これについての記載(同四欄三二行~五欄二行)に照らせば、同ドイツ特許発明の方法では、気泡を含まない石英ガラスルツボは製造できなかったことが認められるから、同ドイツ帝国特許明細書は、本件発明のような半導体技術用のシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボにつき、第二補正に係る技術事項が、本件発明の出願時、公知であったことを示すものではない。また、上記公告公報は、本件出願後の一九八〇年四月一五日を優先権主張日とする特願昭五六--五五六九七号に係るものであるから、本件出願前の公知技術を示す資料とはならない。
(三) 次に、昭和四三年九月三〇日発行の永井文献(乙第六号証)によれば、石英ガラス製品には、「水晶を主に原料とした透明石英ガラス(Fused Quartz or Transparent)と、光学用けい石を主に原料とした不透明石英ガラス(Fused Silica or Translucent)とがある」(同号証八八頁三~五行)こと、透明石英ガラスについては(「3.1透明石英ガラス」の項)、その製造方法として、酸水素溶融法、真空溶融法、直接溶融法、アーク溶融法がある(「3.1.2溶融方法」の項)が、アーク溶融法は、「カーボンの灰分の混入などがあり実際にはほとんど実用化されていないようである」(同九一頁一七~二〇行)こと、その製品として、「半導体用の材料としてはシリコン引上用るつぼ、ゲルマニウム単結晶用ボート、拡散炉用外套管など各種のものが市販されている。半導体用としては高純度であることが必要であり、酸水素法のものと、真空溶融法のものが主として市販されている。」(同一〇五頁二〇~二二行)ことが記載されており、一方、不透明石英ガラスについては(「3.2不透明石英ガラス」の項)、その製造方法として、抵抗溶融法、アーク溶融法、石英ガラスブロック・レンガの製造法があり(「3.2.2溶融方法」の項)、アーク溶融法を用いたルツボの製造法が図3.13に図示されているが、これは原料として硅石粉を用いるもので、水晶粉すなわち「微粉砕した高純度の結晶石英からなる粒子」を原料とするものではなく、したがって、不透明石英ガラス製品として例示されている半導体用材料としての「シリコン単結晶引上用るつぼ」(同一〇八頁四行)も、水晶粉を原料とするものではないと認められる。
これによると、昭和四三年九月当時、第二補正に係る「微粉砕した高純度の結晶石英からなる粒子」である水晶粉を原材料としてアーク溶融法で、本件発明の前示物性及び形状要件を備えた石英ガラスルツボを製造することが、公知であったとすることはできない。
(四) この永井文献が発行されたと同じ年に出願された実願昭四三--三三〇八二号の出願公告公報である実公昭四七--二七七一号公報(乙第九号証、第一一号証)には、石英ガラス容器類の製造装置の考案が記載され、「本考案は・・・石英ガラス管を作ることなく、原料粉末から直接石英ガラス容器類を作る装置であって、回転可能に支持されるシリンダー内に原料粉末を入れて成形し、シリンダーを回転しながら粉末成形体の内表面を例えば上部から下部へ、または下部から上部ヘアーク焔で溶融して容器類に形成する装置に関するものである。」(同号証二欄二~八行)ものであるが、その原料粉末については、従来例につき、「従来石英ガラス容器類を製造するには、水晶、珪砂、珪石などを原料として一旦石英ガラス管を作り」(同一欄二八~三〇行)とあるほかは、同考案の実施例につき、「シリンダー一を回転しつつこれに三〇メッシュ以下の珪石粉や珪砂などの石英ガラス原料粉末一五を投入して固く詰め込む。」(同三欄一七~一九行)とあるだけで、水晶粉を原材料としてアーク溶融法によって、高純度が要求されるシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボを製造することは、直接記載されていない。そして、前示永井文献にみられる昭和四三年九月当時の一般的知見に照らせば、この考案も、永井文献に記載された珪石粉を原料とする不透明石英ガラス製品の製造を前提とした装置であると認めるのが相当である。
すなわち、これによっては、アーク溶融法でもって、「微粉砕した高純度の結晶石英からなる粒子」を原料として本件発明の前示物性及び形状要件を備えた石英ガラスルツボを製造することが、開示されていると認めることはできない。
(五) 本件出願前の昭和五一年九月三〇日発行の「あゆみ--不透明石英ガラスとグラスロックのあゆみを綴る--」(乙第八号証)には、「六--一 アーク溶融法」、「六--二底なしコップから大型ルツボへ」の項で、本件特許権者(被告)におけるアーク溶接法の開発経緯が述べられており、昭和三六年に、大型パイプの製造法としてアーク溶融法のテストに入り、その後改良が加えられたこと、アーク溶融による蛍光体焼成用コップの製造は昭和四一年六月までに完成しており、製品として納入したこと、「この当時すでに現在の高純度ルツボの試作も行っていて、四十二年三月には国内に4〃ルツボを提出した。また当時は未だベルジャー・大型ルツボは大電溶融であり、大型ルツボでは直径五五〇φ~六二〇φが限界で、二重電極を使用した型吹きであった。四十三年頃米国モトローラ社から18〃の大型ベルジャーを受注し、頭部と直管部を別々に作りそれを溶接炉で溶接し出荷したが、これも更に大型の27〃へ移行し、四十四年一月米国に輸出した27〃ベルジャーが当時の米国の新聞に世界最大のベルジャーとして紹介された。その後この27〃も大型アーク炉で作るようになり、更に改良され四十七年36〃ベルジャーの生産へとすべてアーク溶融化されるに至った。」(同号証一六頁上段二〇行~中段七行)と記載されている。この記載においては、「この当時すでに現在の高純度ルツボの試作も行っていて」とあるが、この文献が発行された「現在」である昭和五一年当時のアーク溶融法で製造された「高純度ルツボ」が本件発明の対象とするシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボであるのか、また、その原料が「微粉砕した高純度の結晶石英からなる粒子」であるのかは明らかでない。前示のとおり、永井文献に、シリコン単結晶引上用ルツボには、原料として珪石粉を用いてアーク溶融法で製造される不透明石英ガラス製品のものがあることが示されていることからすると、上記記載から直ちに、第二補正で加えられた技術事項が記載されていると当業者に明らかであるということはできない。
(六) 本件発明に係る侵害訴訟である東京地方裁判所平成元年(ワ)第二九三七号事件に提出された平成二年一〇月八日付けの被告品質保証推進部部長佐藤哲之作成の陳述書(乙第五号証)には、「当社は昭和五一年九月に半導体事業を開始し、そこで自社内で半導体用シリコン単結晶引上げに高純度不透明石英ルツボを使用するようになりました。それにより、高純度不透明石英ルツボの性質と、これを用いて製造されるシリコン単結晶の特性との関係が正確に把握できるようになったのです。これにより高純度不透明石英ルツボの改良にとって有効な各種の情報が得られるようになり本件の特許出願につながりました。」(同号証一一頁一四行~一二頁五行)、「更に昭和四七年頃までの高純度不透明石英ルツボの製造技術について述べます。昭和四〇年に当社が高純度不透明石英ルツボを試作し始めたとき最初に採用した溶融装置は、コップ溶融に使用していた直流アーク方式でした。これは、資料9に示されていますように、一本のプラス極と一本のマイナス極を対にして使用して、両極間でアークを発生させる方式です。その後、高純度不透明石英ルツボの大型化に対応させるために大電力が必要となりました。そこで、三相アーク方式に変更しました。これは資料10に示しましたように、三本のカーボン電極を使用する方式です。」(同一二頁六行~一三頁一行)との記載があり、この記載中に言及されている資料9は、前示実公昭四七--二七七一号公報(乙第九号証、第一一号証)であり、資料10は、本件出願より約六か月前の昭和五一年一〇月六日に出願され、本件出願後の昭和五三年四月二四日に公開された特開昭五三--四五三一八号公報(乙第一〇号証)であることが認められる。
そして、この特開昭五三--四五三一八号公報には、実公昭四七--二七七一号公報記載の考案では、均一な肉厚の容器類が製造できない欠点があったことを指摘し、これを改良した方法及び装置を提供するものであることが述べられ(同号証一頁右欄四行~二頁左上欄三行)、この特許請求の範囲には、「熱伝導率の大きい材料からなる容器内に高珪酸ガラス原料粉末を装填し、該容器を回転させつつ容器内の原料粉を内面から加熱し、該原料粉末を放熱させながら溶融することを特徴とする高珪酸ガラス容器類の製造方法」の発明が記載され、高珪酸ガラス原料粉末として水晶砂を(同二頁左下欄九~一〇行)、加熱手段としてアーク焔を使用し(同二頁右上欄二~三行)、ルツボ形状の容器(第2、第3図)が製造されることが記載されている。
これらの事実によれば、第二補正に係る技術事項を含む本件発明は、被告社内では、昭和五一年当時完成していたことが認められるが、上記特開昭五三--四五三一八号公報が公開されるまでに、公知となっていたことは認めることができない。
(七) このことは、同じく上記侵害訴訟事件に提出された平成三年七月一五日付けの被告特許部専門部長渡辺国明作成の陳述書(乙第七号証)の次の記載からも認めることができる。すなわち、同陳述書には、「昭和五二年当時、私は本社で技術管理部特許課長として特許出願業務を担当しておりました。本件特許出願については特に記憶があります。・・・当時(昭和五一年末頃)、私が認識していた石英ガラスの技術状況を第1表に示します。この認識に基づいて本件特許発明を高く評価しました。第1表に示すように、石英ガラスの製法は種々あり、また使用原料も種々あります。それに応じてその性質(OH基、純度、粘性、硼素)、製造コストも夫々異なります。特別の水晶粉(p--3)を使用した“アーク溶融法”によって初めて、シリコン単結晶引上用石英ガラスルツボに求められていたOH基、純度、粘性、硼素の条件をことごとく満たす“高純度不透明石英ガラスルツボ”の開発に成功したのであります。そこで、昭和五二年三月一七日に特許出願しました。」(同号証二頁三二行~三頁本文六行)と記載されている。そして、本件特許の出願経過を説明する項(同三頁本文六行~四頁二行)において、本件発明の一人岸武男はアーク溶融法の発明者の一人であり、シリコン単結晶引上用石英ガラスルツボをアーク溶融法で直接作ることに成功したこと、開発当初は当時の技術水準から高く評価されたものであったが、その後の技術水準の向上により、ユーザーの満足を得られなくなったので、さらに研究を重ねて昭和五一年末に画期的な改良に成功したこと、この改良点は、「1)アーク炎を熱源としてOH基を極力少なくした。2)回転溶融法で直接ルツボを作り、大型化と低コストを図った。3)比較的高純度で、特に硼素が極めて少ない特別な水晶粉を使用することにした。」(同三頁本文二一~二三行)ことにあり、このようにして本件発明が完成したことが述べられている。
この記載と第二補正の内容及び訂正を認容する審決により訂正された前示本件発明の要旨に示す構成とをみれば、上記改良点の3)は、当初明細書に記載されていたことが認められるが、同1)、2)は、当初明細書には記載されておらず、第二補正により加えられた事項であり、訂正認容審決により特許請求の範囲に記載されるに至った事項であることが明らかである。すなわち、この陳述書によっても、第二補正に係る技術事項を含む本件発明は、被告社内では、昭和五一年当時完成していたことが認められるに止まり、これが本件出願当時、公知になっていたことまでを認めることはできない。
(八) 以上に検討した資料のほか、本件全証拠を検討しても、本件出願当時、第二補正によって加えられたところの、アーク回転溶融法でもって、「微粉砕した高純度の結晶石英からなる粒子」を原料として本件発明の前示物性及び形状要件を備えた石英ガラスルツボを製造することが、当業者にとって白明の周知事項であったことを認めるに足りる証拠はない。
被告は、従来、一般の石英ガラス製容器・ルツボ等の製造方法としては、チューブ封止法、抵抗溶融法、アーク回転溶融法、などの方法が知られていたが、本件発明の前示物性要件及び形状要件を満たすシリコン単結晶引上用石英ガラスルツボの製造に適する方法としては、アーク回転溶融法のみであり、したがって、当初明細書の記載をみれば、当業者は、アーク回転溶融法が採用されていることが当然に理解できる旨主張する。しかし、前示の事実によれば、このようにいうことができないことは明らかであり、被告の主張は採用できない。
(九) 以上のとおりであるから、訂正認容審決により特許請求の範囲の記載に加えられた第二補正に係る技術事項は、当初明細書の記載から自明の事項ではなく、これを当初明細書に加えた第二補正は、明細書の要旨を変更するものといわなければならない。そうすると、本件出願は、特許法四〇条(平成五年法律第二六号による改正前のもの)に基づき、第二補正の補正書が提出された昭和五七年九月六日にしたものとみなされることとなる。
したがって、審決が第二補正が明細書の要旨を変更するものではないとし、これを前提に、請求人(原告)が提出した刊行物(審判事件甲第一六~一九号証、本訴甲第一五~第一八号証)は本件出願日より後に頒布されたものとして請求人(原告)の主張は成り立たないとした審決の判断は誤りであり、これが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、審決は違法として取消を免れない。
二 よって、原告の請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 石原直樹 裁判官 清水 節)